湖畔のひとりごと

スイスでの生活で気づいた事などを綴っています

オランダ旅行:①アムステルダム

先週、日本からの友人が一人でオランダを旅行するというので、私も参加して二人旅をしてきた。スイスのチューリッヒからオランダのアムステルダム、スキポール空港までは約1時間半。ロンドンまでとほぼ同じというご近所さんだ。

オランダへ行くのは初めてだったので、スイスで日本語のガイドブックが入手困難ということもあり、事前にインターネットで色々調べる時間も楽しかった。

ちなみにオランダの現在の正式名は、The Netherlands(ネザーランド)。2020年1月より、それまでの通称名だったHolland(ホラント)の使用を廃止したそうだ。ドイツ語でオランダはDie Niederlande。このニーダーランデと英語の正式名ネザーランドがごっちゃになって、いつも私の頭の中では混線を起こすのでやっかいだ。

旅の前半は首都のアムステルダムへ。その昔、江戸時代の京都と同じく、税金は家の間口によって決められていたそうで、いわゆる「ウナギの寝床」が左右の家とぴったりくっついて建てられている街並みが運河沿いに広がっている。

運河に浮かぶ観光船

間口の狭い建物。右側は建物の歪みに合わせて窓も歪んでいる?!

今回は美術館巡りを中心とした旅なので、ゴッホ美術館近くの宿を取った。ホテルからアムステルダム中央駅へ向かう間が繁華街となる。市内にはメトロやトラム、そしてオランダ名物のバイク(自転車)がいっぱい走っているが、何せ土地が平らなため、歩くのも全く苦にならない。ある意味一番危険なバイカー達に気を付けていれば、楽々と歩いて観光できるのも私にとっては魅力だった。バイクもレンタルできるが、皆がすごいスピードで疾走するバイクレーンに飛び込む勇気は出なかった。。。

スイスではバイカーもほぼ100%ヘルメットをかぶっているが、オランダでかぶっている人は見かけなかった。同じヨーロッパなのに違うのね。

アムステルダムでは国立美術館、ゴッホ美術館、レンブラントハウスを巡った。オランダ人画家として有名なレンブラント、フェルメール、ゴッホ、ハルス、等々の有名な絵画をじっくり鑑賞して大満足。日本の美術館は企画展が多く、人も多いため、有名な絵画が来た時は近くでじっくり鑑賞するのはほとんど不可能だが、ヨーロッパだとそれが可能なのでとても嬉しい。そして写真が撮れるのも!

朝の国立美術館。現在公開修復中のレンブラントの有名な作品「夜警」の前もガラガラ。

そして噂に聞いていたCoffee Shop。ここはカフェではなく大麻を個人で安全に楽しむことができるお店(公共の場では違法)だが、この数がすごく多くてあちらこちらで見かけた。市内に200店以上あるそうだ。でも、今やオーバーツーリズムに悩むオランダ。観光税を導入したり色々対策を講じてはいるが、このコーヒーショップ目当てに来る観光客も多く、禁止しようという動きもあるのだそうだ。

綺麗な街並みに多くのお店やレストランが存在し、歩いているだけで楽しいというのはもちろん大きな魅力だが、それ以上に私はオランダの人達が皆フレンドリーでとても親切、そしてほぼ100%英語が通じるというのを挙げておきたい。ホテルで、お店で、街中で、何か質問をすると皆とても丁寧に対応してくれ、そして最後に必ず"Have a nice day!"(良い一日を!)と言ってくれる。世界各国訪問してきた中で、親切な人遭遇率No.1と言える。こんな人達の国だから、今後もオーバーツーリズムが解消されることはないだろうな。

アムステルダム中央駅。駅前はトラムや自転車も走っていて、キョロキョロしている観光客には危険ゾーン。

眼鏡をかけずに遠くから見て「何だろう、甘栗かな?」と近づいてみたら、チューリップの球根のマーケットでした。ここは運河沿いにこういうマーケットがずらりと並ぶ。

 

ティッチーノ州での休暇

今年は9月が我が家の休暇月。夫Mが2週間休みを取ったので、グリンデルワルトの後はスイスの南方、ティッチーノ州のアスコナ(Ascona)へ行って来た。

家からアスコナへは、どれも2,000m超えのグリムゼル峠&フルカ峠を越えるか、ゴッタルト峠あるいはゴッタルトトンネル経由で行くことになる。今回はゴッタルトの渋滞を予想して、前者経由で行くことにした。

スイス、というよりヨーロッパで驚いたことの一つにバイク(自転車)愛好家の数がある。本格的なバイクツアーを楽しむ人もいれば、子供と一緒に楽しむ家族もいるが、関東平野で育ち、平地が当たり前だった私にしてみれば、すごい坂道だらけの道路を疾走するバイカー達の脚力にいつも驚かされる。そしてこのバイカーの姿は2,000m超えの峠でも多く見かける。車でもずっとアクセルを踏み続けるこの峠を自分の脚力だけで登るなんて私には考えられないが、それだけに達成感が得られるんだろうな、と、自分では絶対に達成することのない感覚を想像だけしてみた。

峠を越えて、まずはティッチーノ州の州都、ベリンツォーナへ。ここにはカステルグランデ、モンテベッロ城、サッソ・コルバロ城の3つのお城があり、ユネスコ世界遺産に登録されている。

カステルグランデ

イタリア語圏ということもあり、気分はもうイタリア。建物もカラフルでなんとな~く時間もゆったりと流れている気がする。それは多分自分が休暇中ということと、カフェでゆったりとエスプレッソを飲みながらお喋りに興じている人達を多く見かけるせいだろう。

教会(La Collegiata)

ベリンツォーナでの短い滞在の後、アスコナへ。ここはMが子供の頃から家族とよく訪れていた村だそうで、マッジョーレ湖畔に位置し、その対岸はイタリアだ。私も3回目なのだが、主要な空港から遠いからか、一回目に訪れた2018年にはアジア人の観光客を見かけることはまずなかった。それが今回は結構アジア人も見かけた。峠のサービスエリアでも韓国人観光客を乗せた大型バスが何台かあったし、より観光地化が進んでいるようだ。

アスコナの中心街からマッジョーレ湖を望む

アスコナの夜景


アスコナではちょっと贅沢して5つ星ホテルのカステッロ・デル・ソルへ。スイスで#1ホテルに選ばれたこともあるそうで、マッジョーレ湖に面した広大な敷地の中にプール、ウェルネスはもちろんテニスコートなどもあり、小さな子供連れの家族もいるが、どちらかというと昔からずっと定宿にしている年配のお客さんが多い落ち着いたホテルだ。そして、ここの食事が何より美味しい♬スイスのホテルではハーフペンション(朝・夕食付)かフルペンション(朝・昼・夕食付)が選べるのだが、夕食だけでもかなり量があるので、いつもハーフペンションで日中はカロリー消費に努めている。

今回の旅行の目玉の一つ、金曜日のフィッシュビュッフェ。私の生活圏内では入手困難な新鮮で豊富な種類のお魚料理がいっぱい。

今回の滞在中は晴れ、曇り、雨と毎日天気が変わったので、ゴルフをしたり、ホテル内のウェルネスで汗をかいた後ジャグジーでまったりしたり、そして一日は20分ほど車を走らせてイタリアの小さな村、カノッビオに足を延ばしたり。イタリアのジェラートはやっぱり美味しいな~などと感激しながら街歩きを楽しんできた。

アスコナから車で20分のカノッビオ(イタリア)

カノッビオの街中の食材店の店先はもう秋の味覚でいっぱい

 

夏のグリンデルワルト

冬のグリンデルワルトはスキーリゾートとして有名だが、夏でも人気の観光地として世界各国から観光客が訪れている。アジア人の観光客も多く、毎回行き交う度に「日本人かな?」と会話に耳を澄ますのだが、大抵は中国人か韓国人で、日本経済の勢いの無さが心配になる。

メインストリートを通る車を見ていると、レンタカーやEU諸国のナンバーが多く、属するスイスベルン州ナンバーの方が少ないぐらいだ。

メインストリート。正面にそびえるのはヴェッターホーン(3692m)

9月の1週目、夫Mが休みを取ったので、2年ぶりにグリンデルワルトへハイキングへ行って来た。ここは周りを3,000m~4,000m級の山々に囲まれていて、村の中心地からは

①アイガーエクスプレス

②メンリヒェンバーン

③フィアストバーン

の主に3つのロープウェイ、この他登山鉄道、バス等で色々な方面へ行くことができ、50以上のハイキングトレイルが整備されている。

ロープウェイで一気に2千メートル越え地点に降り立ち、そこから始めるハイキングは正に天空の中を歩いているようで、ハイキングや自然好きな人には間違いなく素晴らしい体験ができる。

今回はメンリヒェンバーンで頂上ではなく、途中駅のホレンシュタイン(1529m)へ。ロープウェイの中では関西方面からと思しき日本人観光客の若いご夫婦と一緒になり、勝手にちょっと嬉しくなった。数年前の日本語会話に飢えていた時期ならきっと相手の迷惑も顧みず話しかけていたであろうが、今回は遠慮して、心の中で「楽しんでね!」と願いながら降りた。ホレンシュタイン駅からは、アイガー方面の東へ向かうルートを歩いた。あまり高低差の激しくない子供連れ向きのルートなのだが、ほとんど他の人に会うことも無かった。

ホレンシュタイン駅から見下ろすグリンデルワルトの村

ヒュッテでランチを食べた後、まだ時間も余力もあったので、先月書いたアーレ渓谷に行った際にMが「そういえばグリンデルワルトにも似たような渓谷があるんだった」と思い出しだしたグレッチャー渓谷までそのまま歩くことにした。

登山電車

ここへ向かうには一旦一般道路まで降りてそこをしばらく歩くので、日陰が無く陽光に容赦なく照りつけられたが、とぼとぼと歩く我々の横を、車で同じ目的地を目指す観光客が次々と通り過ぎて行った。そう、ハイキング好きな人は歩いて目的地へ、そうでない人は車やバスで簡単に辿り着けるのも人気の秘密なのだろう。

グレッチャー渓谷入口

途中、崖と崖の間にネットがかけられていて、その上を歩くことができる。グレッチャー渓谷にはバンジージャンプもあり、アトラクションが多い。

下には冷たい急流



2日目はプフィングシュテック展望台まで歩いて登った。

違う角度から見るヴェッターホーン


ここは、アイガー北壁側からグリンデルワルトを見下ろすことができる。ローデルバーンという長い滑り台をブレーキのついた乗り物に乗って滑るアトラクションや、フライラインも楽しめる。そしてこのプフィングシュテックまではロープウェイもあるので、もちろん簡単に辿り着ける。

到着したのがお昼前だったので、レストランで食事をしていると、山の陰になっていた太陽が徐々に姿を現し、涼しかった気温もどんどん上がって、景色も色を帯びて来た。

アイガー北壁は人の横顔のようなシルエットが目印。まだ太陽の光が山に遮られて、牛もちょっと涼しそう。

スイスの楽しみ方は色々あるけれど、雄大な自然と澄んだ空気の中でのハイキングは本当に素晴らしい。また来年の夏も来よう!

NOと言えない日本人

この夏から、友人家族が交換留学生プログラムで日本人の高校生を1年間あずかることになった。

私自身が交換留学生としてアメリカに留学したその昔は、通信手段といえば手紙と電話ぐらい。と言っても留学前は英語が喋れるというレベルではないので手紙のみ。ホストファミリーと自分との間でお互いを認識する手段は写真だけだったが、今や実際に留学先に渡る前からSNSやビデオ通話など通信手段は色々あるので、春頃から友人家族はその日本人留学生Kさんと交流を開始し、彼女の到着を心待ちにしていた。

友人家族はとても楽しい一家で、オープンマインドだし出かける事もイベントも和食も大好きなので、Kさんが充実した一年を過ごせること請け合い。Kさん自身も明るく積極的で何にでもチャレンジするタイプなので、とても上手くいっているようだ。

ただ、奥さんのNが私にこう言った。

「Kは決してノーと言わないの。この前だって夜の11時に川沿いの(外灯の無い)道で犬を散歩させて来てって言ってみたら断らないのよ。彼女はまず嫌なことは嫌と言うことを学ばなくちゃいけないわね」

確かに、私自身もなかなかノーというのは難しく、他の友人にも「Igelはノーと言わないけど、嫌だったらはっきり言ってね」と言われたことがある。

日本人の感覚だと、例えば何かを頼まれた際、まず相手の希望をなるべく叶えたい。それが無理な場合は、相手の気分を害さないように断る言い方を考える。と、この経緯をたどるため、実際にノーと言うまでに時間がかかるのだと思う。更には慣れない言語での会話のため、日本語だったらすぐにジョークだとわかることも、一所懸命にヒアリング→やっと理解→回答を考える→返答、となるため、タイムラグが生じる。

とはいえ、こちらは嫌なことは嫌と言うのが当たり前で、他の人と違っていようが自分の意見を持っていることが良しとされるお国柄。日本人のどっちつかずな態度にイライラするようだ。

生まれ育った日本で身についてしまったこの感覚を変えるのは本当に難しいのだ。でもあの穏やかな友人Nが、言語よりもまず先に学ぶべきこととして挙げた「ノーと言うこと」はスイスで生活していく上ではとても重要なのだろう。私も早くノーと言える人にならなければ。耳が痛い。。。

Kさんを歓迎して森の中でBBQ&クリケット大会

 

お宅探訪

不定期で集まる日本人女性5人の会。以前にもこの会について書いたが、皆スイス在住〇十年の大先輩でお料理上手な方たちばかり。いつもテーブルの上にはそれぞれが手作りで持ち寄った多くは和食の数々が並ぶので、毎回とても楽しみにしている。

今回はトゥーンの街中、旧市街の通り沿いに住むHさん宅での開催となった。Hさんはインドと縁が深い方で、インドのカレーを作って迎えてくれた。

高温の油で揚げたパパード。これにフムス(ひよこ豆のペースト)をつけて食べると絶品。

カレールーは使わずスパイスだけで作るゴアカレー


処で、スイスでは誰かのお宅にお邪魔すると、よく家の中を見せて回ってくれる。冬が長いせいか、家の中で快適に過ごせるよう改装、工夫したり、お気に入りの家具を揃えたり、思い入れが深いせいかな?と思っている。

Hさんも「家の中見ますか?」と言ってくれたので、皆で喜んで見学ツアーに参加した。

トゥーンの街自体は12世紀末に高台のトゥーン城が築かれて町として発展していった。15、16世紀から宿場町として栄え、旧市街のオーベレ・ハウプトガッセが上下2段になっているのは、その頃、馬は下部に繋がれて、宿泊客は上の部屋に泊まったためだそうだ。

現在は下は商店、階段を上った上は歩道と住居になっているオーベレ・ハウプトガッセ。

Hさんのお宅はそのオーベレ・ハウプトガッセにある。いくつもの建物がお隣と隙間なくぴったりとくっついて建てられている。階の数で言えば6階建て。そして家の奥には段々と高くなっていくお庭が広がっていた。

スイスは景観維持にとても厳しい国だ。よって、旧市街ともなれば外観維持のために個人で好きなようにはいじれない。でも内装は自由なのかと思ったら、内装も手を加えて良い事は決まっているそうだ。

誰かが「この家は築何年?」と聞くと、「建物自体は16世紀に建てられたそうです」とさらりと答えるHさん。日本だったら築100年で立派な古民家として重宝されるが、16世紀といえば日本では室町時代~安土桃山時代。そんな古い建物が完璧に残っていて、更には未だ現役なんて、やっぱり大地震のない国の石の建物は頑丈なのだなぁと感心した。

家の中の壁や階段は古い歴史を感じられ、とても興味深いお宅訪問となった。

アーレ渓谷

先週末、ずっと行ってみたかったアーレ渓谷(アーレシュルフト)へ行って来た。

この渓谷に流れるアーレ川は全長291kmのスイスで一番長い川で、オーバーアール氷河から始まり、アーレ渓谷を流れた後、ブリエンツ湖、トゥーン湖、首都のベルンを流れ、最終的にはドイツのライン川へ合流する。ベルン州ではウォーターアクティビティのメッカとして皆に愛されている。湖では私が考えられるほとんど全てのアクティビティ:ヨット、ボート、カヌー、レガッタ、サップ、水上スキー、ウェイクボード、ダイビング等々を楽しむ人々を日々見られるし、流れの結構早い川では泳ぐ人や何キロもゴムボートで流れて行く人達が見られる。

因みに、水源の氷河により近いブリエンツ湖の水温はトゥーン湖より低いため、湖上はトゥーン湖のような賑わいは無く、何となくしっとりと落ち着いてちょっと寂し気な印象がある。だからこそNetflixドラマ「愛の不時着」のロケ地に選ばれたのかしら?!

アーレ渓谷に話を戻すと、この全長1.4kmの渓谷はマイリンゲンとインナートキルヒェンの間に位置している。何千年という時をかけて川の流れの浸食作用により石灰岩が削られて形成され、切り立った崖と崖の間の一番狭い所では1mも無く、一番深い所は約200m。

東口側→西口側へと流れるアーレ川。西口側は遊歩道入ってすぐに両側に切り立った崖の間を進む。夜はライトアップされているそう。

一番狭い所では両側から歩いてきた人々が道を譲り合い。


観光地としても有名なため、混雑を避けるために朝の開門時間の8:30過ぎにマイリンゲン側、西口から歩き始めた。この日は朝雨が降っていたのもあり、渓谷を通り抜ける風はかなり冷たかった。他の観光客もほとんどおらず、川の流れる音しか聞こえない渓谷の景色は、神秘的かつ圧倒的であった。

朝降っていた雨も止み、復路では太陽が出て来た。

マイリンゲン側の西口、インナートキルヒェン側の東口は線路でも結ばれていて、どちらか一方から歩いて、帰りは電車で出発地点に戻ることも出来る。この間は渓谷にそびえ立つ崖の裏側がくり抜かれて線路が通っているため、東口の駅はトンネルの中。スイスはユングフラウ鉄道といい、ゴッタルト鉄道といい、山がちだけあってトンネルを掘る技術がすごいなぁといつも感心させられる。

東口側の駅。ボタンを押して待っていると、トンネル内の電車の到着に合わせてドアが開く。

我が家から車で約1時間で到着するアーレ渓谷。そんなに遠くない所でこの雄大な自然美を楽しめるなんて、何て恵まれていることか。そしてスイスの自然に世界中の人々が魅せられるのがよくわかる。

東口側から見るアーレ渓谷。ここから西口方向へ川が流れている。

 

 

建国記念日

8月1日はスイスの建国記念日。この日は家族や友人で集まってお祝いをする人が多い。

いつもは夫Mのお姉さんの家に家族や彼女の友人家族、総勢30人以上が集まって食事をするのが、今年は当人が不在のため、我が家にMの両親を招いて大人4人のひっそりとしたお祝いになった。

この日、どこの家庭でも特に子供達が楽しみにしているのが花火。家庭用の普通の花火やいわゆる爆竹など、一日中あちらこちらから爆発音が聞こえてくる。Mのお母さんは「(8月1日)の12:00ぴったりに近所で大きな花火をあげた人がいて、折角寝入っていたのにその後寝られなくなった」とちょっとお気の毒だった。

うちのご近所さんも大人数での食事のために庭にテーブルや椅子を運び出したりするのが見える。が、前回「今年はスイスも暑い」というブログを書いたばかりなのに、あの後から急激に気温が下がり、すっかり秋のような気候になってしまった今週、ぎりぎりまで食事を室内か?庭か?で迷う始末。結局毛布と上着で防寒しながら庭での食事&花火を楽しむ事になった。

我が家には庭に薪オーブンがあり、それを前から使ってみたいとMがこの日を楽しみにしていたのだ。焚火は大好きな私。火付けを手伝おうとしたら、同じく焚火好きなMに「僕がやるから手出さないで!」と言われてしまった。普通にBBQをやる際も皆火加減に口や手を出したがってよく言い合いになっている。古今東西、火が好きなのは皆同じなのだ。

薪オーブン

8時には食事が終わったが、この時期まだまだ夜が明るいスイス。9時半過ぎないと暗くならない。寒がりの私はダウンジャケットを着こみ、毛布に包まりながら花火を待った。

トゥーン湖を臨む庭からは、対岸のあちらこちらの町から上がる花火が小さく見える。そしてメインは観光船が連なり船上から花火を打ち上げ、それに応えて岸のあちらこちらの町からも上がる花火だ。

まだ明るいうちに観光船が連なってトゥーンからインターラーケンに向かって出航

暗くなってインターラーケンから戻ってきた船から上がる花火

10時半には船からの花火がフィナーレを迎えたが、その後も夜遅くまであちらこちらから花火の上がる音が聞こえていた。