湖畔のひとりごと

スイスでの生活で気づいた事などを綴っています

ドイツにドイツ語留学:③フライブルク・イム・ブライスガウ

今回短期留学したドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ(以下、フライブルク)は、ドイツ南部、スイスと国境を接するにバーデン=ヴェルテンベルク州に位置する。街の中心部には大きな大聖堂と二つの塔やシアターがあり、旧市街地の至る所にベヒレと呼ばれる水路が流れている(冬の間は水は止められている)。

旧市庁舎

2つの塔の一つ。マクドナルドの文字も景観に溶け込んでいる。

最初、側溝だと思った私は「酔っ払いや他の事に気を取られた人が落ちて大怪我をするのでは?」と危惧したが、そもそもヨーロッパは日本のように安全策であちらこちらにフェンスを設置したりはしない。むしろ景観を保つ方を選んでいる。街中だってトラム(市電)、車、自転車、歩行者と信号もなく通行している。要は自己責任。自分が気をつければよいのだ。

街の至る所に流れるベヒレ

とはいえ、この水路に落ちる人は多いようで、落ちた人は現地の人と結婚する運命にあるという言い伝えがあるそう。

水路では子供達が小さな紐付きに舟を浮かべて遊んだり、夏には裸足で涼を取ることができる。冬だったが、じゃぶじゃぶと水音を立てて楽しそうに歩く犬も見かけた。

私が滞在していた2月には、カーニバル=謝肉祭(ドイツ語でファストナハト)があり、当日月曜日前の週末は、街のあちらこちらで予行練習する人と見物客でごったがえしていた。

大聖堂をバックにカーニバルの予行練習をする魔女にふん装したチーム

カーニバル当日よりも接近して見られた予行練習の方が楽しかった

オーストリアのハプスブルク家の統治下だったこともあり、友人に勧められたGmeinerというカフェはオーストリアの香りが。いつも混んでいたが、滞在中に3回通ってしまった。

また是非行きたいカフェ、Gmeiner

そして日本食レストランも美味しかった。もちろん日本と比べたらお高いが、スイスと比べると「なんて素晴らしいコスパ!!」と涙が出そう。それも魚の種類がスイスの和食屋さんでは見たことない多さ。スイスの家から車でほんの2時間でこれが食べられるのに、スイスではなぜ・・・?と疑問が残る。

特選海鮮丼

お天気が良い日には橋の上に上って日光浴をしたり夕陽を眺めたりする市民。この橋は若い人達がファーストキスをする定番の場所なのだとか。かなりの高さがありますが、ここも自己責任です。

 

ドイツにドイツ語留学:②ゲーテ・インスティテュート

日曜日にフライブルクに到着し、翌月曜日から授業が始まった。

ゲストハウスから学校までは、線路上にかかる橋を反対側へ渡って約10分。冬にしては暖かい日が続いたので、学校までの往復は良いお散歩になった。

私のクラス、B1.2は生徒14名、先生1名、先生のアシスタント1名の合計16名。私以外は皆10代、20代で国籍も様々。スイス、フランス、スペイン、モロッコ、UAE、クウェート、インド、アメリカ、ブラジル、エルサルバドル、そして日本人男性2人。

ずっとこのゲーテでA1.1から学び始めて順当にB1.2まで進んで来た人もいれば、既にドイツに留学もしたこともあるので流暢に喋れるけれど文法がよくわかっていないという人、このクラスに参加するために初めてドイツに来たという人もいるので、会話のレベルには差があったが、皆それぞれ他者をリスペクトして、喋るのが遅い人が喋っている時もきちんと待っていた。

先生は自己紹介で「私はもう長年ここゲーテで教えている。教える事が好き。普通の学校だとやる気の無い生徒もいるけど、ここは多国籍の生徒に会えるし、皆の真剣に学ぶ姿勢が大好き」と言っていた。そして、その先生の言葉通り、授業中は生徒からの発言や質問が飛び交い、眠気に襲われる暇も無かった。

授業中は他の生徒とグループで会話をするというのが中心だった。学んだ文法を使って文章を作り、それを話す。正にこれが私に必要な事。間違っても気にせずまずは話してみる。最初は言いたいことが言えずにもどかしいけれど、徐々に慣れて、他の生徒が使うフレーズからも学ぶことができた。

授業は朝8:30に始まって、途中2回、合計45分の休憩を挟んで13:00終了。当初は「午後に街歩きでもしよう」などと考えていたが、朝からずっとドイツ語に集中し、宿題もそれなりの量があり、空いた時間にはオンラインで仕事もしていたので、そうそう遊んでもいられない。結局、授業後にクラスメートと何回か一緒にお昼を食べたことはあったが、ほとんどは途中スーパーで何かを買ってまっすぐゲストハウスへ帰る日々。

部屋へ帰って「宿題もしなきゃ。仕事もしなきゃ。」と思いつつ、疲れた脳でぼーっとしていると、向いの棟の部屋でずっと勉強机に向かっている人の姿が目に入り、「あー、私も頑張らなくちゃ」と奮起。ある意味、こういう刺激が今回留学して本当に良かったなと思った。

学校の近くにアルベルト・ルートヴィヒ大学があり、学校に通っている間は生徒としてこの大学の学食が利用できた。サラダは萎びているし、量が多いので一人だったら行かないが、クラスメートに誘われて「これも経験」と何度か食べに行った。でも値段は食べ物だけなら3~5ユーロととってもお得。ある日、巨大な野菜ラザニアが食べきれず残そうと立ち上がったら、隣の女性に「残すなら私にもらえない?」と聞かれてびっくりしたが、フードロスも防げるし喜んであげた。これ以降、何度か誰かの残り物をもらう人を目撃した。よっぽどぎりぎりの生活をしている生徒が多いのか、環境政策で先進的な取り組みをしていることで知られ、環境首都』と呼ばれるフライブルクならではなのか???

巨大なラザニア

16人でいっぱいいっぱいの教室のせいか、はたまたいつも大混雑の学食に行ったせいか、滞在中に風邪で寝込んで2日学校を休んでしまった。残念!

 

ドイツにドイツ語留学:① ゲストハウス

2月に3週間、ドイツ語の勉強のためにドイツのフライブルクへ滞在して現地の学校に通った。

スイスでは、現地の人達は現地の方言で話すのが常なので、学校でハイジャーマン(標準ドイツ語)を学んでも、日常生活でハイジャーマンを聞くことはほとんど無い。例えるならば、海外から日本へ来た人が、標準語を学んでいるけれど東北地方で生活しているという感じだろうか。

スイスへ来てから一向に上達しない自分のドイツ語に、年齢とセンスの無さを嘆いていたが、何人かの知り合いから「ドイツ語向上のためにはドイツで学ぶのが一番早い」と聞き、今回思い切ってドイツで学校に通うことにしたのだ。

選んだのはスイスのバーゼルからも遠くない、フライブルク・イム・ブライスガウ(以下、フライブルク)。最初は「折角行くなら、前から行ってみたかったベルリンにしようかな?」と考えていたが、ドイツ人の友人に「ドイツはスイスみたいにどこでも安全という訳ではないから、あまり大きな町はお勧めしない」と言われ、スイスからも遠くない中規模の町、フライブルクに決めた。

通うのはゲーテ・インスティテュート。ドイツ政府が設立した機関で、日本にも学校がある。今回はそのゲーテのゲストハウスに滞在したが、コロナ禍以降ゲストハウスを併設したゲーテの学校はこのフライブルクのみになってしまったそう。

フライブルクまでは電車で約2.5時間。ホームに降り立ちゲストハウスへの行き方を地図で確認。どうやら線路の上を走る橋を渡って反対方向へ行かなくてはならないようだが、その橋上へのエスカレーターもエレベーターも故障なのか動いていない。結構重たいスーツケースを手に「早速ドイツの洗礼か⁈」と呆然としてしまったが、歩いてもほんの10分、何故か意固地になり「絶対に自力で辿り着くんだ!」とタクシー乗り場は素通りして何とかゲストハウスに到着した。

ゲストハウス近くのカソリック教会。とても綺麗なのだが、残念な事にこの教会のある広場は特に夜は治安が悪い。

ゲストハウスでは一人部屋を選択。事前にもらっていたコードを入力してキーボックスから鍵を受け取り、部屋を探す。部屋は思っていたより広く、ベッド、勉強机、クローゼット、棚、スーツケース置き場、そしてシャワーのみのバスルーム。3週間快適に暮らせそうだと安堵した。

キッチンは共用で、それぞれ最小限のお鍋、フライパン、お皿、コップ等が支給されているので、料理をしたい人はそれらを抱えてキッチンへ行って料理をする。ナイフやまな板がキッチンにあるのだが、それらも共用なので日によってあったりなかったり、誰かが使用中だったり。最初の頃は塩・胡椒を買ってパスタを作ったりしていたが、そのワンパターンの味にも飽きて、後半は野菜でサラダだけ作り、スーパーで買ってきたお鮨やレンジでチンするラザニアなどが多くなった。

滞在している生徒は10代、20代の若い子が主なので、料理をする数少ないメンバーは決まっていた。ほとんどの子はピザやカップラーメンが多かったようだ。それでも国籍が多様なため、自国からすごい量のスパイスや自前の鍋を持ち込んで料理する人もいたりして、その際はキッチの隣の部屋で食事をしている私達のところへもその強烈なスパイスが漂ってきて、目に激しい痛みが走り、急いで自室に逃げ込んだりした。

ゲストハウスはホテルではないため、例えばソープやドライヤーなども置いていない。これは事前に実際にこのゲストハウスに泊まった人のブログを読んで準備していたので、とても助かった。

このキッチンで何人かの日本人女性にも会った。皆クラスが違うので大抵キッチンでしか会わないが、ドイツ語で疲れ切った脳には、夕飯時に自由に操れる日本語で喋れる機会は休息になりありがたかった。

冬のドイツ、それにきちんとしたホテルではないということで、どれだけ寒いのかを心配していたのだが、むしろ部屋は暑かった💦それなのに掛布団も厚手で、夜中に暑くて何度も目が覚める。最初は怖くて開けたままにできなかった窓も、寮に泥棒も来ないだろうと、後半はもうずっと開けたまま。おかげで特に週末など、若い子達が騒いでいる声が丸聞こえでなかなか寝られなかったが、暑いよりはマシでした。

スイスのクリスマス

先週まで日本に一時帰国していた際、もう街にはクリスマスツリーが溢れていた。特に東京駅界隈でよく見たので、それはそれはカラフルで立派なツリー達。買い物客も足を止めてきらびやかにデコレーションされたツリーを眺めたり、写真を撮ったり。

スイスに戻ってきたのが12月16日。翌日から軽い風邪の症状もありすっかり引き籠り状態になり、スイスのクリスマス気分を全く味わう機会がなかったが、19日の夜に夫Mが「ちょっと早いけど」と言いながらクリスマスツリーと共に帰宅した。

アメリカのホストファミリー宅でのクリスマスは、早々にツリーを設置し、家族皆で数多くのオーナメントで飾り付けをし、その下に置くプレゼントの数が日に日に増えていったと記憶しているが、スイスの家庭では『木が乾燥するから』ということで結構クリスマスぎりぎりにツリーを購入する。以前知り合いに聞いたところによると、「24日にツリーを買ってきて、その夜に親が飾り付けをして、朝起きたら子供達が綺麗に飾り付けられたツリーを見て喜んだものよ」ということだった。

その家庭にもよるだろうが、スイスのツリーはアメリカのそれと比べて極めてシンプル。というのも、スイスでは枝にキャンドルホルダークリップをつけて、そこにキャンドルを立てて実際に火を灯すために、あまりごちゃごちゃ飾り立てると燃えてしまうからだろう。

キャンドルを灯した我が家のクリスマスツリー

我が家ではクリスマスに家族全員がMの両親の家に集まって食事をした後、キャンドルが灯されたツリーを見ながらクリスマスソングを歌ったり(今や姪、甥も大きくなったので歌わなくなった)、プレゼント交換をしたり、どのキャンドルが一番に消えるか予想したりしている。初めて参加した時は「なんとも素朴だな~。これが家族の団らんというものか」と思った。

昨日やっと外出してトゥーンの街のクリスマスツリーを見てクリスマスマーケットを覗いてきた。コロナ禍にはなかった大きなバーも出店して、大賑わい。

お城をバックにしたトゥーン市庁舎前広場のクリスマスツリー

クリスマスマーケットといえばドイツが有名だが、以前行ったニュルンベルクのクリスマスマーケットは本当に大きかった。でもすごい人混みで、下戸の私はグリューワインも飲めないし寒いばかり。トゥーンのクリスマスマーケットぐらいの規模が丁度良い塩梅かも。

トゥーンのクリスマスマーケット

 

感謝を実感する日々

11月中旬から約三週間、1年半ぶりに日本に一時帰国した。

冬だというのに異常に暖かい日が多く、持参した冬用の長めのコートは数日しか出番が無かった。でも、外出するのが苦ではなく、家の中での底冷えもほぼ感じることは無く、快適な滞在となった。

一時帰国する際は事前に誰といつ会うかを計画し、限られた日程を有効に過ごせるように必要な諸々の対応を整えるようにしているので、今回も無駄なく、家族旅行や友人との再会を楽しんだ。

スイスへ移住し、一時帰国という形で日本へ帰るようになってから顕著に感じるのは、母親が会う度に小さくなっているということ。毎週ビデオチャットで顔は見ているものの、全身を見ることはないので余計にそう感じる。耳もどんどん遠くなり、体の動きもよりゆっくりとなっている。日々接していると気づかないぐらいの速度なのだろうが、1年半ぶりとなるとびっくりする。

母親以外にも、母親と同世代の元上司ご夫妻、元の会社の知り合いなど、当たり前だが皆年を重ねて、以前はお元気だったのに今回は体の不調で直前まで会えるかどうかわからずやきもきしたり。実際にお会いすることができて大きな喜びを嚙み締めた。

これからもこうやって「今回はあの人と会えるかな?」と思う回数が増えるのかと思うと、その時実際に会えていることに心から感謝。久しぶりに帰って来る私のために、約束したその日のその時間にその場所に来てもらえるということが本当に有難いと思った。

親の世代の人達もしかり、自分を含め、同世代の友達だっていつ何があるかわからない。そう思うと日本滞在中は本当に何事にも感謝する日々だった。

オランダ旅行番外編:飛行機に乗り遅れる

楽しい旅はあっという間に終わり、スイスへ帰国する日。

朝早くにまず日本へ帰国する友人がホテルを去り、午後にアムステルダムのスキポール空港から出発する私は約半日時間があったのだが、雨だったこともあり、ホテルでのんびりしてから早めに空港へ行って空港で時間を潰そうと思った。

スキポール空港には国立美術館の分館とミュージアムショップがあり、そこに行くのが目的でもあった。でも、到着してみると美術館の場所がわからずうろうろ。時間だけはたっぷりあるので人に聞くこともせず、しばらくして「あ、セキュリティーを通らないと無いのか!」と気づく。が、セキュリティーを通った先にも見つけられず、買い物をしたお店の店員さんに聞いてみると「このセクションからは行けないのよ」と聞かされてショックを受けた。

しかしもう戻ることもできず、仕方ないので軽食を食べ、本を読んだり、ネットニュースを読んだり。私のチューリッヒ行きフライトは15:15出発で16:45到着だったのだが、そうこうしている間に私の頭の中では、長い待ち時間➡16:45出発に変換されてしまったようだ。冷えて来たので暖かい紅茶を飲もうと自分の出発ゲート近くでカフェを探したが無く「まだまだ時間があるのだから」と違うゲート方面へ向かう途中のカフェに入った。

お茶も飲み終わろうかという頃「ボーディング時間をもう一度チェックしておこう」とスマホを見ると、【ゲートクローズ 15:00】。そしてそれを見ているスマホの時計は15:15を指している。どういうことかわからず一瞬ぽかんとした後パニックになった、というか、やっと自分の間違いに気付いた。

大慌てで自分のゲートに走るが、何せ遠い。「どうか飛行機が遅延していますように!」と祈りながら、口がからからに乾いて足ももつれる程走ったけれど、こういう時に限って定刻通り出発。カウンターでは「もう出ちゃったわよ。〇〇のカウンターへ行ってね」

まさかの事態に、そして自分のうっかり具合にショックを受けながらも乗り継ぎカウンターへ向かうと、そこは長蛇の列。どういう手順になっているのかもわからないまま列に並んでみたけれど、1時間待っても全然動かない。私の前に並んでいたドイツ人の男性が話しかけてきたが、どうやら英語は話せないらしく、何となくわかる単語だけで彼の訴えを想像するに、「自分のベルリン行きのフライトがキャンセルになり、翌日の便に振り替えられてしまった」とのこと。そして私の後ろの女性がしびれを切らして文句を言い始めた。

女性:いったいどうなってるの?全然前へ進まないじゃない!

係員:我々も最善を尽くしています。受付番号は取りましたか?その順番で対応しています。

受付番号?何それ??周りがざわつき始めた。

女性:受付番号?そんなの知らないわ。いったいどこで取ればいいの?

そして係員が指さしたのが、長蛇の列の内側にある機械。待つ人が多すぎてその機械が隠れていたため、誰もその存在に気付いていなかったのだ。皆わらわらと機械に飛びついた。私は困っているドイツ人男性にまず機械をあてがい、ドイツ語モードにして「これで要件を選んで番号を取るみたいですよ」と伝え、その隣の機械で自分の番号を取った。でも自分の番号はまだまだ先。そこからまた長い待ち時間。

その間にドイツ人男性は係員に何か言われて列を外れて行った。どうやらその日のホテルも既に手配され、そこで対応を待つ必要はなかったようだ。かたことだけれどドイツ語を喋る私に仲間意識を持ってくれたのか「私はここで待たなくても良いみたいだ。気を付けてね」と言って離れて行った。と思ったら、しばらくしてまた戻って来て私に何か助けを求めている。でも私では埒が明かないので、係員を無理やりつかまえて「この人を助けてあげて!」と伝えた。ホテルへ行くためのバス乗り場がわからなかったようだ。どうせまだ待つのだから私が係員から英語で聞いて(係員もドイツ語はかたこと)正しい乗り場に連れて行ってあげようかとも思ったが、万が一その間に自分の順番が来たらと思うと怖くてできなかった。そして再度お互いに「気を付けて!」と励まし合って別れた。

2時間近く待ってやっと私の番号が呼ばれた。カウンターでは、

係員:どうしたの?

私:飛行機に乗り遅れました

係員:どうして?

私:えーっと、ゲートに行くのがちょっと遅れまして・・・

PCに向かう担当の女性にパスポートの提示を求められたので渡すと、

係員:あなたどこから来たの?

私:(どこからって)アムステルダムからチューリッヒに帰るところなんです

ここではたと気が付いた。EU加盟国のオランダとシェンゲン協定加盟国のスイスは、入国の際パスポートコントロールを受ける必要がないため、スイスから来た私の入国記録は当然載っていない。なのに日本のパスポートを渡したので「いったいこのアジア人はどこから現れたんだ?!」となったのだ。危うく不法滞在者と間違われるところだった。

慌てて「あ、今はスイスに住んでいるんです」とスイスのIDカードを提示すると納得してくれた。

係員:17:50の便があります。通常は17:20発だけど今日は遅れてるの。ゲートDだから今すぐ行って。普通は代金払ってもらうんだけど、今回だけは特別よ。

私:本当にありがとうございます。もう絶対遅れません!

係員:もう遅れないでね。お願いね。

この時点で17:00過ぎ。あ~次の便が遅れてて本当に良かった。かくしてその日の内に無事にチューリッヒに降り立った。

乗り継ぎカウンターで長時間待っていたため、色々な理由でそこへ来る旅行客の訴えや怒りもいっぱい目にした。乗り遅れた人達は疲れや不安もあり当然口調も厳しくなる。その都度きびきびと対応する係員。ストレスフルな仕事だな~と同情した。そして、そんな所に私のようなうっかり者が。ひたすら申し訳ないと反省。

以前、会社の後輩がどこぞの空港で本を読んでいたら自分のフライトに乗り遅れたという話を聞いて「そんなうっかりさんがいるんだ!」とびっくりしたことを覚えていただけに、まさか自分が同じ失敗を犯すとは。

空港での長過ぎる待ち時間は危険です。皆さんもお気をつけください。

 

 

 

 

オランダ旅行:②ロッテルダム&デン・ハーグ

アムステルダムの後は電車でロッテルダムへ向かった。

車窓からの景色は見事に真っ平。山に囲まれて住むスイスの景色と全く違う。私の住むスイスベルン州ではEU各国の車もよく見かけるが、個人的な統計で一番多いのはドイツ、それに次いでオランダのような気がする。やはり平らな土地に住んでいると山が見たくなるのかな?と想像している。

ロッテルダムは第二次世界大戦で、ナチス・ドイツによる爆撃により旧市街と港はほとんど破壊され荒廃してしまったそうで、街の景観はアムステルダムとは全く違って近代的なビルが立ち並んでいた。歩いていても「ここ、大手町だっけ?」と錯覚しそうになる。ダッチデザインと呼ばれる実験的、革新的でユーモラスな建築物が多く、アムステルダムとは違うオランダを楽しめる。

ユニークな建物代表のキューブハウス。集合住宅で普通に人が住んでいる。見学も可能なので入ってみたが、想像通りデッドスペースが多く、実際に住むには不便なような・・・。

下はマーケット、上層階は住宅のマルクトハル。

1Fのマーケットから見上げる天井はとてもカラフル

ロッテルダム中央駅

それにしても今は旅も楽になったなとつくづく思う。スマホがあればほとんど必要な情報を得られるし、地図で歩く方向まで教えてくれる。私は地図さえあれば目的地には辿り着ける自信があるので、充電さえ切れなければ問題無い。でもそのせいか、今やインフォメーションセンターには無料の地図が置いていない所が多い。紙の地図を俯瞰するのも好きなので、それが出来ないのは残念だ。

ロッテルダム初日は有名なダッチデザインの建築物を見て回って、2日目は20分程離れたデン・ハーグと、風車を見にキンデルダイクまで足を延ばした。

ハーグ条約が締結されたデン・ハーグには、オランダ議会と首相官邸が立地するビネンホフ、議事堂や王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館があり、ほぼ全ての首都機能を担う国内政治の中心都市で、事実上のオランダの首都。

ビネンホフ

そして、そのビネンホフに隣接して建っているのがマウリッツハイス美術館。ここにも有名なレンブラントやフェルメールの作品があるので、この美術館を訪れるためデン・ハーグへ。ちょうど良い広さと作品数の美術館で、そんなに混んでもおらず、快適に鑑賞することができた。

マウリッツハイス美術館のレンブラントの間

もうちょっと街中を歩いてみたかったのだが、この日は公共交通機関乗り放題のツーリストデイチケットを利用して、一日でデン・ハーグと風車で有名なキンデルダイクを回る計画を立てていたので、早々にデン・ハーグを後にした。

ロッテルダムへ戻り、エラスムス橋の架かる運河の水上バス乗り場へ移動し、船でキンデルダイクへ向かった。

エラスムス橋とその奥に見えるデ・ロッテルダム(3棟の建物)

ここへの行き方をインターネットで調べていた際、一番簡単なのはこの水上バスを利用とあったので、乗船者は皆キンデルダイクへ向かう観光客なのだと勝手に思っていたが、そこへ行くために途中で乗り換えたのは私と友人の二人だけ(乗り換え無しで行ける直通水上バスもあるので、皆そちらを利用するのが普通なのかも)。そして現地に着いたらほとんど皆バスで来ている団体客か、個人客はレンタカーで来ていた。

ザ★オランダな風車がある風景。運河に沿っていくつも連なる風車を見ながらのんびり散歩をした後、お茶をしながらどうやってホテルまで帰るかを調べた。どうも水上バスの時刻表の見方がよくわからず、ちょっと時間はかかっても、街の景色を楽しみながらバスで帰ることにした。とんでもない方向に行ってしまわないように、バス停を確認しようと犬を散歩させている女性に聞いてみると、またしても親切に教えてくれて、"Have a nice day!"と言ってくれた。

キンデルダイクの風車群

短かったけど、日本からの友人とも再会でき、親切な人の多いオランダ旅行を楽しんで、やっぱり旅って良いな~。