湖畔のひとりごと

スイスでの生活で気づいた事などを綴っています

一本の箒から生じる地元民との交流

先週末、我が家から1.5hで行けるイタリアの町、Domodossola(ドモドッソラ)へ行って来た。ここは土曜日のマルクトが有名で、スイスからも国境を越えて買い物客が大勢訪れる。

電車で国境を越えてドイツには行ったことがあるが、イタリアは未経験だったので一度行ってみたいと思っていたところ、友人がイタリアのStresa(ストレーザ)への小旅行の帰りにドモドッソラに寄るので、現地で合流して一緒にマルクトを散策しようと声をかけてくれたのだ。

私の友人Hさんとそのお友達のTさんがイタリアのストレーザから、スイスからは私とTさんの娘さんのSさん、そして彼女の子供2人がドモドッソラで合流することに。Sさんとは初対面だったが、子供達への接し方からしっかりと子育てしている姿が容易に想像できて、また話もおもしろくてとても好感が持てた。子供達も流暢な日本語を話し、1.5hの電車の旅は楽しいものとなった。

先に到着した我々はマルクトをちょっと覗くことにした。駅を出ると正面の道からすぐにマルクトは始まるのでアクセスがとても良い。

駅前からすぐに始まるマルクト


駅近くでは次々と大型バスが発着していて、観光客にも人気の町らしい。アジア人も結構見かけた。

私の家の近くのトゥーンや、よく行くベルンのマルクトは生鮮食品のスタンドも多いのだが、こちらは観光客向けなのか洋服、カバン、靴、その他雑多な生鮮食品以外のスタンドが主で、食品といえばチーズ、ハム、サラミなどを売るスタンドがまとまった一角に数件ある程度だった。

多くの人が列を成していたチーズや生ハムのスタンド

Hさん&Tさんのバスが到着する時間になったので駅前に戻り待っていると、Hさんが赤い箒を手に現れた。思わず

「えー、どうしたの(笑)?」

と聞くと、

「ストレーザで見つけたの。軽いし、ブラシの部分が細くて使いやすそうでしょ?スイスでずっとこういうの探してたのに見つからなくって、こっちで見つけたから買ってきた」

確かに、私も家で使っている箒はブラシの部分がデッキブラシのような太さで狭い所に入らず、ずっと使い難いと思っていた。

「それも8ユーロ。安いでしょ?」

確かに確かに!その値段はスイスではあり得ない。私も欲しい!!

Hさんが手にしていた箒

右が我が家のくたびれた箒。ブラシ部分が太くて使い難い。


しばらく箒の話で盛り上がった後、荷物をコインロッカーに預けに行くが、柄の部分は長すぎて入らないのでブラシ部分だけ取り外して持ち歩くことになった。

まずは腹ごしらえのためにピッツェリアへ。空いている椅子の上にカバンを置いて、柄をそこに立てかけたHさん。すると、注文を取りに来たウェイトレスがそれを見て、

「あら、お掃除の人が忘れたのかしら?ごめんなさい」

「いえ、これは私のなの」と、Hさん。

ウェイトレスは笑いながら

「あ、そうなのね、良かった」

テーブルでは「そりゃなんでこんな物持ち歩いてるの?って思うよね~」と皆で大笑い。

その後マルクト散策を楽しみ、子供達も疲れ、お天気も怪しくなってきたのでジェラートでも食べて一休みしようということに。入ったジェラート屋は小さく、奥に2つのテーブルがあるのみ。一つのテーブルは既に常連客らしいイタリア人男性二人が座っていたので、その隣のテーブルへ。そしてその一人の男性の横の壁にはお店のものであろう同じ箒が立てかけてあった。そこへ柄だけ持って現れた我々を見て男性の一人が

「これと同じじゃないか。それもブラシがない!」

と話しかけて来た。

そこからはイタリア語は話せないけれどスペイン語を勉強中でコミュニケーション能力のとても高いHさんと男性達でお喋りが始まった。そのうち商売そっちのけでお店の女性二人も会話に加わり、イタリア語、スペイン語、英語、ドイツ語が混ざり合って会話が膨らむ。やはりイタリア人は陽気でお喋り好きな人が多い。Hさんと男性の一人が同じ年だということも判明し、二人はなぜかハグ(笑)。

最後にHさんが私を指して

「彼女もこの箒が欲しいんだけど、どこか買えるお店ある?」

と聞くと、

「ここから2分歩いた所にスーパーマーケットがあるから、そこにあるかも」と。

「わかった、ありがとう。今から行ってみる!」

とお礼を言ってお店を後にした。

2分は歩いたが見つからずうろうろしていると、さっきの男性二人がちょうど歩いてきて、「こっちだ」とお店の前まで連れて行ってくれた。

果たしてお目当ての箒があった。柄=1.8ユーロ、ブラシ=2.5ユーロ、合計4.3ユーロ。更にお安い!!Hさんもあまりの安さにブラシ部分の替えを購入。

この後は2本に増えた箒を私が持ち歩き、さっき散策の途中で見たケーキ屋でお菓子を買って帰ろうということになった。そのお目当てのケーキ屋さんに到着すると、お店の女性が私を見て

「さっきは1本だったのに2本に増えたのね!」と笑っている。

「そうそう、見つけたの!」

と、ここでもまた笑いが起きた。

箒のお陰で生まれた楽しい会話の数々。主目的のマルクトよりも強い印象を残した地元の人達との交流で、とても楽しい一日だった。

そして買ってきた箒は、我が家で毎日大活躍中である。

 

 

 

スイス・ミリタリー

先日、在スイス日本国大使館より送られてきたメールに「軍事演習に伴う交通規制」というのがあった。その内容は「スイス空軍が高速道路A1上で戦闘機の離着陸演習を実施することに伴い、4日21時から6日9時までの間A1上のXXX~XXX区間において、一部通行止めとなります」

普通の高速道路上で、それも深夜ではなく21時から翌日9時とは。これがもし日本だったら、一般市民からの苦情が殺到しそうだな、と思いつつ、さすがミリタリーの存在が身近な国ならではなのだろう。

スイスには徴兵制度があり、健常な男性には兵役が課されている(女性も志願兵として入隊可)。私の住む町の近くには大きな駐屯地があるので、日常でミリタリーの制服を着た若者もよく見かける。甥っ子が兵役に就いていた時、ファミリーデーがあり家族皆で参加したことがある。野外には昔からの戦車が年代別に陳列されていて、マニアにはたまらなそうだ。

ずらりと並んだ戦車

建物内部には銃、リュックサックの中身、野営の際のテントなどが展示されており、実際に戦車の中にも入ることができる。車内は暗くてとても狭く、こんな状態で悪路を移動したら絶対に車酔いするな、と過酷な状況が容易に想像できた。

リュックサックの中身

この人数がこの暗い戦車の中に収容されるのか?!見ただけでもう酔いそう・・・

こうやって子供の頃からミリタリーの存在が身近になっていくんだろうな

兵役はもちろん肌に合う人、合わない人がいるようで、甥っ子は結構気に入っていたようだが、友人の息子さんは「もう最悪」と週末帰宅する度に文句が止まらなかったようだ。最近は兵役ではなく社会奉仕活動を選ぶこともできる。

兵役中はかなりな高給が受け取れるので、甥っ子は毎週行きつけの街のレストランで子牛のステーキを食していた模様。体力勝負な訓練もあるだろうし、何せまだ若い。そりゃお肉も食べたい盛りだもんね、とは思うが、51フラン(現在レートで約8,900円)を毎週とは!

兵役を終えた後は海外へ一人旅1か月、友達とまた別の国へ2週間など旅を楽しみ、夫Mは「納税期までにお金残ってるのかな?」と心配していた。

ここ数年であちらこちらで戦争が勃発し、兵役に就く兵士達もいつか自分達が前線に立つことになる姿を想像しない訳にはいかなくなっているのだろうが、どうか訓練だけで終われますように、と切に願っている。

さすがスイス。ミリタリー・チョコも美味しい!

 

 

田舎暮らし

千葉市で育った私が子供の頃は、近所にまだ空き地もいっぱいあり、カタツムリ、バッタ、トンボ、トカゲなどを普通に見たり捕まえたりという子供時代を過ごしたが、成長するにつれてその空き地もほとんどなくなり、特に過去十数年はマンション暮らしだったこともあり、自然に触れる機会も減り、家の近所でこれらの生物を見る事はほどんどなかった。

スイスの田舎で暮らすようになり、子供時代以上に自然と触れる、というか、自然と共に生活することになり、ちょっと子供の頃の感動を思い出したりしている今日この頃。近くの森からは一日中アカゲラが木をつつく音が響き、太陽が出ると庭には日向ぼっこするトカゲがいっぱいに。夜にはたまにキツネも見かけるし、一度は私の姿に驚いたテンが思わずプールに落ちて慌てて逃げて行ったことも。姿こそ見かけないが、夜に現れているらしいアナグマがあちらこちらに穴を掘り、そこにかならず糞のお土産を置いていくので、これには毎年悩まされている。

そして特にこの時期至る所で見られるのがカタツムリ。スイスではカタツムリは保護されているのもあって、草むらの陰を覗くと密集していたりする。

草むらにはカタツムリがいっぱい。歩くのも慎重になる。


サイズも立派。

凛々しささえ感じさせるこの後ろ姿


先日、踏んでしまわないようにひょいと持ち上げたカタツムリを見ると、その殻の上で何かが動いている。「これはもしや子カタツムリ?それがお母さんの殻の上に??」と感動。

殻に貼りついているのは誰?


しかし、後から調べてみるとカタツムリは生れながらにもう殻を背負っているとのこと。となるとこのチビちゃんはただのナメクジか?考えてみればカタツムリが子育てするとは想像できない。調べた内容を読むとさらに驚きの生態が。カタツムリは雌雄同体で、夏眠と冬眠をし、夜行性なのだとか。そしてカタツムリといえば紫陽花というイメージがあるが、それは葉っぱを日よけにしているだけで、実際には食べない。身近な動物なのに何も知らなかったな。

そして同日、そろそろバラが咲いたかな?と家の側面を見に行くと、勢いよく伸びたバラに隠れてほとんど見えなくなっていた巣箱にシジュウカラが出入りしている。「もしや巣作りしてる?!」と小踊りしながら夫Mを呼びに。Mと戻ると、微かながら巣箱から弱々しい雛鳥の鳴き声が。「もう孵化してる!!」この日以来一日に何度か巣箱の観察をすることが日課になっている。シジュウカラは繁殖が始まると毎日1個づつ卵を産み、平均8~9個も産むのだそうだ。18~20日で巣立つそうなので、できればその瞬間を見てみたい。

雛の餌やりに忙しい親鳥

こういう小さな感動を積み重ねている日々。田舎暮らしも悪くないな。

 

 

新しい有効期限のクレジットカード受け取りにまつわるごたごた話

ことの始まりは3月4日に受け取った某クレジットカード会社からのEメール。「新しい有効期限のカード発送前のご連絡」

そこにはおおまかに「新しい有効期限のカードを郵送いたします。コロナ禍以降お客様の声を反映し、非対面で受け取れるよう普通郵便でお届けいたします。お届けの住所に変更がある場合は、以下ボタンよりお手続きください」と書かれてあった。

国外移住して以来、面倒な手続きに色々悩まされてきたが、「普通郵便で送ってくれるなんて朗報だ!」と喜んだ。移住前に確か姉の住所に変更はしてあったはずだが、一応確認しようと手続きに進むボタンを押下。すると・・・出ました、電話番号認証!!私のスマホはダブルSIMで、日本に滞在している時しか日本の電話番号はオンにしない。海外ではその番号は使えないので認証が出来ない。う~ん、でも住所変更はしてあるはずだから姉の家にカードは届くだろうと、PCを閉じた。

ところが、その数日後にまたカード会社から「カードアカウントの再認証が必要です」とメールが届いた。その内容は、「お客様のカード口座にいくつかの異常が見つかりました。今すぐ以下のオンライン本人認証サービスにログインしていただくようお願いいたします」そこで、そのボタンを押下してみるも、セキュリティがかかって開けない。セキュリティ解除するしかないのかな?でもそれも怖いしなぁ、う~ん困った、と思うと同時に、自分名義の唯一のこのクレジットカードがもう使えなくなったらどうしよう?と、とても不安になってきた。

国外転出すると日本の大抵の銀行は口座を解約するよう案内をされる。日本居住者にしかサービスは提供しないという訳だ。このことが頭にあったので、「クレジットカードも海外居住者は使えないんだ?!」とパニックに。今住んでいるスイスではアルバイト程度の収入しかないため、現地で新しく自分名義のクレジットカードを作るのは不可能だろうし、何より自分のアイデンティティが奪われるような気がして気分が落ち込んだ。

そんな落ち込み気分に追い打ちをかけるように更なるメール「異常によるクレジットカードご利用一時停止のお知らせ」が届く。「ご本人のご利用か確認させていただきたいお取引がありました。登録された電話番号にご連絡いたしましたが、連絡を取ることができませんでした」云々。そして以下のボタンからご利用内容を確認しろとのこと。が、そのボタンもまたしてもセキュリティがかかって開けない。 

「あー、もう自分名義のクレジットカードは諦めるしかないんだ」と、いよいよ気分どん底の私。でも、そもそも何でこれらのボタンを押下してもサイトが開けないのか?国外からだとダメなのか?と、IT知識に疎いながらも色々考えて、VPN(仮想プライベートネットワーク)を新たに契約し、このVPNで日本から接続してみるも結果は同じ。

一か月以上落ち込み気分のまま時が過ぎ「落ち込んだってどうにもならないものは仕方がない。諦めよう」と思い始めた頃、ふと「でもなぜセキュリティがかかったのか?」と、またメールを辿って検証してみた。もう勘の良い方はお気づきですか?そうです、上の赤字は詐欺メールだったのです。よくよく見れば本物のカード会社からのメールと送信元が違っていたり、日本語の言い回しもしっくりこない部分があったりと、普通の精神状態であれば気づけるポイントはいくつかあったのだが、何せタイミングが良すぎた。そしてそれから間もなく本物のカード会社より「新しい有効期限のカードを本日発送いたしました」とメールが届いた。あー、この一か月余りの気分の落ち込みをどうしてくれよう!!と、怒りがこみ上げるものの、心の底から安堵した。

しかし、連絡メールが届いてからも姉から一向に「カード届いたよ」の連絡が無い。忙しくて連絡忘れてるのかな?と思いつつ、一週間経ったので自分からメールで聞いてみると「届いてないけど?」との返事。「えー、何で???」とまたしても不安に。カード会社のHPにログインしてみると、「宛てどころ不明のためカードが弊社に戻ってきています」とのこと。ということは、移住前に対応したと思っていた住所変更ができていなかったということなのか?どちらにしろ電話番号認証ができないため、今からの住所変更もできない。この先数か月は日本への一時帰国の予定も無いし、やっぱりダメなのか(涙)、とまたまた落ち込みつつ、何とかして解決策を見つけられないものかとHP内を閲覧していると『海外生活ヘルプデスク』なる文字を発見!年会費を払えば海外にカードも発送してくれるとのこと。最初からのこんなサポートがあることを知っていれば、今回の気分のジェットコースターは経験しなくて済んだのに。かくして無事対応を終えて、やっと、やっと安心することができた。

普段から親には「詐欺メールや電話には気をつけてね。上手い話は無いんだから」と言っているのに、上手くない話で自分がひっかかるところだった。でも、怪我の功名で、VPNで日本のamazonプライムの映画やドラマも観られるようになり、悪い事ばかりではなかったな。

後はクレジットカードが無事にこの手に届きますように!

それにしても私のカードの有効期限が詐欺グループに漏れているというのが恐ろしい。皆さんも詐欺メールにはくれぐれもご注意下さい。

ドイツにドイツ語留学:③フライブルク・イム・ブライスガウ

今回短期留学したドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ(以下、フライブルク)は、ドイツ南部、スイスと国境を接するにバーデン=ヴェルテンベルク州に位置する。街の中心部には大きな大聖堂と二つの塔やシアターがあり、旧市街地の至る所にベヒレと呼ばれる水路が流れている(冬の間は水は止められている)。

旧市庁舎

2つの塔の一つ。マクドナルドの文字も景観に溶け込んでいる。

最初、側溝だと思った私は「酔っ払いや他の事に気を取られた人が落ちて大怪我をするのでは?」と危惧したが、そもそもヨーロッパは日本のように安全策であちらこちらにフェンスを設置したりはしない。むしろ景観を保つ方を選んでいる。街中だってトラム(市電)、車、自転車、歩行者と信号もなく通行している。要は自己責任。自分が気をつければよいのだ。

街の至る所に流れるベヒレ

とはいえ、この水路に落ちる人は多いようで、落ちた人は現地の人と結婚する運命にあるという言い伝えがあるそう。

水路では子供達が小さな紐付きに舟を浮かべて遊んだり、夏には裸足で涼を取ることができる。冬だったが、じゃぶじゃぶと水音を立てて楽しそうに歩く犬も見かけた。

私が滞在していた2月には、カーニバル=謝肉祭(ドイツ語でファストナハト)があり、当日月曜日前の週末は、街のあちらこちらで予行練習する人と見物客でごったがえしていた。

大聖堂をバックにカーニバルの予行練習をする魔女にふん装したチーム

カーニバル当日よりも接近して見られた予行練習の方が楽しかった

オーストリアのハプスブルク家の統治下だったこともあり、友人に勧められたGmeinerというカフェはオーストリアの香りが。いつも混んでいたが、滞在中に3回通ってしまった。

また是非行きたいカフェ、Gmeiner

そして日本食レストランも美味しかった。もちろん日本と比べたらお高いが、スイスと比べると「なんて素晴らしいコスパ!!」と涙が出そう。それも魚の種類がスイスの和食屋さんでは見たことない多さ。スイスの家から車でほんの2時間でこれが食べられるのに、スイスではなぜ・・・?と疑問が残る。

特選海鮮丼

お天気が良い日には橋の上に上って日光浴をしたり夕陽を眺めたりする市民。この橋は若い人達がファーストキスをする定番の場所なのだとか。かなりの高さがありますが、ここも自己責任です。

 

ドイツにドイツ語留学:②ゲーテ・インスティテュート

日曜日にフライブルクに到着し、翌月曜日から授業が始まった。

ゲストハウスから学校までは、線路上にかかる橋を反対側へ渡って約10分。冬にしては暖かい日が続いたので、学校までの往復は良いお散歩になった。

私のクラス、B1.2は生徒14名、先生1名、先生のアシスタント1名の合計16名。私以外は皆10代、20代で国籍も様々。スイス、フランス、スペイン、モロッコ、UAE、クウェート、インド、アメリカ、ブラジル、エルサルバドル、そして日本人男性2人。

ずっとこのゲーテでA1.1から学び始めて順当にB1.2まで進んで来た人もいれば、既にドイツに留学もしたこともあるので流暢に喋れるけれど文法がよくわかっていないという人、このクラスに参加するために初めてドイツに来たという人もいるので、会話のレベルには差があったが、皆それぞれ他者をリスペクトして、喋るのが遅い人が喋っている時もきちんと待っていた。

先生は自己紹介で「私はもう長年ここゲーテで教えている。教える事が好き。普通の学校だとやる気の無い生徒もいるけど、ここは多国籍の生徒に会えるし、皆の真剣に学ぶ姿勢が大好き」と言っていた。そして、その先生の言葉通り、授業中は生徒からの発言や質問が飛び交い、眠気に襲われる暇も無かった。

授業中は他の生徒とグループで会話をするというのが中心だった。学んだ文法を使って文章を作り、それを話す。正にこれが私に必要な事。間違っても気にせずまずは話してみる。最初は言いたいことが言えずにもどかしいけれど、徐々に慣れて、他の生徒が使うフレーズからも学ぶことができた。

授業は朝8:30に始まって、途中2回、合計45分の休憩を挟んで13:00終了。当初は「午後に街歩きでもしよう」などと考えていたが、朝からずっとドイツ語に集中し、宿題もそれなりの量があり、空いた時間にはオンラインで仕事もしていたので、そうそう遊んでもいられない。結局、授業後にクラスメートと何回か一緒にお昼を食べたことはあったが、ほとんどは途中スーパーで何かを買ってまっすぐゲストハウスへ帰る日々。

部屋へ帰って「宿題もしなきゃ。仕事もしなきゃ。」と思いつつ、疲れた脳でぼーっとしていると、向いの棟の部屋でずっと勉強机に向かっている人の姿が目に入り、「あー、私も頑張らなくちゃ」と奮起。ある意味、こういう刺激が今回留学して本当に良かったなと思った。

学校の近くにアルベルト・ルートヴィヒ大学があり、学校に通っている間は生徒としてこの大学の学食が利用できた。サラダは萎びているし、量が多いので一人だったら行かないが、クラスメートに誘われて「これも経験」と何度か食べに行った。でも値段は食べ物だけなら3~5ユーロととってもお得。ある日、巨大な野菜ラザニアが食べきれず残そうと立ち上がったら、隣の女性に「残すなら私にもらえない?」と聞かれてびっくりしたが、フードロスも防げるし喜んであげた。これ以降、何度か誰かの残り物をもらう人を目撃した。よっぽどぎりぎりの生活をしている生徒が多いのか、環境政策で先進的な取り組みをしていることで知られ、環境首都』と呼ばれるフライブルクならではなのか???

巨大なラザニア

16人でいっぱいいっぱいの教室のせいか、はたまたいつも大混雑の学食に行ったせいか、滞在中に風邪で寝込んで2日学校を休んでしまった。残念!

 

ドイツにドイツ語留学:① ゲストハウス

2月に3週間、ドイツ語の勉強のためにドイツのフライブルクへ滞在して現地の学校に通った。

スイスでは、現地の人達は現地の方言で話すのが常なので、学校でハイジャーマン(標準ドイツ語)を学んでも、日常生活でハイジャーマンを聞くことはほとんど無い。例えるならば、海外から日本へ来た人が、標準語を学んでいるけれど東北地方で生活しているという感じだろうか。

スイスへ来てから一向に上達しない自分のドイツ語に、年齢とセンスの無さを嘆いていたが、何人かの知り合いから「ドイツ語向上のためにはドイツで学ぶのが一番早い」と聞き、今回思い切ってドイツで学校に通うことにしたのだ。

選んだのはスイスのバーゼルからも遠くない、フライブルク・イム・ブライスガウ(以下、フライブルク)。最初は「折角行くなら、前から行ってみたかったベルリンにしようかな?」と考えていたが、ドイツ人の友人に「ドイツはスイスみたいにどこでも安全という訳ではないから、あまり大きな町はお勧めしない」と言われ、スイスからも遠くない中規模の町、フライブルクに決めた。

通うのはゲーテ・インスティテュート。ドイツ政府が設立した機関で、日本にも学校がある。今回はそのゲーテのゲストハウスに滞在したが、コロナ禍以降ゲストハウスを併設したゲーテの学校はこのフライブルクのみになってしまったそう。

フライブルクまでは電車で約2.5時間。ホームに降り立ちゲストハウスへの行き方を地図で確認。どうやら線路の上を走る橋を渡って反対方向へ行かなくてはならないようだが、その橋上へのエスカレーターもエレベーターも故障なのか動いていない。結構重たいスーツケースを手に「早速ドイツの洗礼か⁈」と呆然としてしまったが、歩いてもほんの10分、何故か意固地になり「絶対に自力で辿り着くんだ!」とタクシー乗り場は素通りして何とかゲストハウスに到着した。

ゲストハウス近くのカソリック教会。とても綺麗なのだが、残念な事にこの教会のある広場は特に夜は治安が悪い。

ゲストハウスでは一人部屋を選択。事前にもらっていたコードを入力してキーボックスから鍵を受け取り、部屋を探す。部屋は思っていたより広く、ベッド、勉強机、クローゼット、棚、スーツケース置き場、そしてシャワーのみのバスルーム。3週間快適に暮らせそうだと安堵した。

キッチンは共用で、それぞれ最小限のお鍋、フライパン、お皿、コップ等が支給されているので、料理をしたい人はそれらを抱えてキッチンへ行って料理をする。ナイフやまな板がキッチンにあるのだが、それらも共用なので日によってあったりなかったり、誰かが使用中だったり。最初の頃は塩・胡椒を買ってパスタを作ったりしていたが、そのワンパターンの味にも飽きて、後半は野菜でサラダだけ作り、スーパーで買ってきたお鮨やレンジでチンするラザニアなどが多くなった。

滞在している生徒は10代、20代の若い子が主なので、料理をする数少ないメンバーは決まっていた。ほとんどの子はピザやカップラーメンが多かったようだ。それでも国籍が多様なため、自国からすごい量のスパイスや自前の鍋を持ち込んで料理する人もいたりして、その際はキッチの隣の部屋で食事をしている私達のところへもその強烈なスパイスが漂ってきて、目に激しい痛みが走り、急いで自室に逃げ込んだりした。

ゲストハウスはホテルではないため、例えばソープやドライヤーなども置いていない。これは事前に実際にこのゲストハウスに泊まった人のブログを読んで準備していたので、とても助かった。

このキッチンで何人かの日本人女性にも会った。皆クラスが違うので大抵キッチンでしか会わないが、ドイツ語で疲れ切った脳には、夕飯時に自由に操れる日本語で喋れる機会は休息になりありがたかった。

冬のドイツ、それにきちんとしたホテルではないということで、どれだけ寒いのかを心配していたのだが、むしろ部屋は暑かった💦それなのに掛布団も厚手で、夜中に暑くて何度も目が覚める。最初は怖くて開けたままにできなかった窓も、寮に泥棒も来ないだろうと、後半はもうずっと開けたまま。おかげで特に週末など、若い子達が騒いでいる声が丸聞こえでなかなか寝られなかったが、暑いよりはマシでした。